プジョーを日本に知らしめた、ピニンファリーナデザインが光る『405』【懐かしのカーカタログ】

プジョー405
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400番台のプジョーの最新モデル『408』は、ファストバックの今どきのクロスオーバースタイルで登場した。そこで今回は、シリーズの前身にあたり、『205』などと同世代で日本でもプジョーの知名度を高めた『405』を振り返ってみたい。

◆デザインはピニンファリーナとの共同作業

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それまでの『305』と『505』に続く末尾“5”の新型車として1987年に本国デビュー。日本市場へは1989年に導入された。デザインはピニンファリーナとの共同作業といい、前後して登場した『アルファ164』と相通じる雰囲気だったのは同じピニン作だったため。当初の日本での取り扱いは、当時のオースチンローバージャパンとスズキの2社だった。

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実車は全長×全幅×全高=4410×1720×1405mmで、全幅が1720mmということから日本では3ナンバー車の扱いに。2670mmとホイールベースが長く、実用セダンらしい広々とした室内空間が実現されていた。

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またセダンを追ってワゴンモデルのブレークも設定。低い床を活かし、前後スペースは最大で1645mm(後席使用時で1060mm)、幅1350mmのゆとりのあるラゲッジスペースをもっていた。

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搭載エンジンは当初は1904ccの4気筒エンジンでスタート。高性能版のMI16にはDOHC版(150ps/17.3kg・m)が5速MTとの組み合わせで搭載され、後に4×4モデルも設定された。今となってはプジョーらしいサラリとしたスタイルが貴重に思える、ミドルクラスのセダン(ワゴン)だった。

《島崎七生人》

島崎七生人

島崎七生人|AJAJ会員/モータージャーナリスト 1958年・東京生まれ。大学卒業後、編集制作会社に9年余勤務。雑誌・単行本の編集/執筆/撮影を経験後、1991年よりフリーランスとして活動を開始。以来自動車専門誌ほか、ウェブなどで執筆活動を展開、現在に至る。便宜上ジャーナリストを名乗るも、一般ユーザーの視点でクルマと接し、レポートするスタンスをとっている。

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